「右脳の空手」

「右脳の空手」

    

6月2日卓話要旨

「右脳の空手」

東京大学名誉教授、真義館総本部指導員、東京道場長    大坪 英臣 氏 

65歳で空手を始めた

現役時代は船舶工学の発展に少なからず貢献できたと思う。日本造船学会会長、日本計算工学会会長、国際船体海洋構造会議委員長、日本学術会議会員を歴任した。

今から19年ほど前に東京大学を退職して4年ほど経った65歳の時、成り行きで空手を始めた。無謀にも直接打撃や蹴りを加えるフルコンタクト空手であった。右も左もわからない入門4ヶ月後の東京支部大会で40歳以上のシニアの部(10人弱参加)で準優勝した。決勝戦での相手は黒帯であった。翌年は再び同じ相手を決勝戦で破って優勝し、3年後に初段に、6年で弐段に、さらに2019年に参段となった。現在は真義館総本部指導員・本部直轄東京道場長である。初段を取るあたりから、真義館麻山慎吾館長の個人指導を受け始め、それまでの格闘(スポーツ)空手と全く異なる、筋力を使わないで相手を崩す武術空手の道に入り込んだ。

格闘空手の一流の選手であった館長が激しい筋トレの結果生じた腰痛のために空手を断念するまでに追い込まれていた。腰痛でも出来る古伝の型の稽古を始め、それを真摯にやりこむことで、一生治ることなどないとあきらめていた腰痛が突然直った。とともに、期待もしていなかったが不思議な力を得るようになった。相手の身体や周りの空間に光る点が複数現れ、その光る点のいずれかに手足を出せば、相手が崩れてしまうのである。強く出す必要はなく、そこに置くように出せばよい。このように館長は古伝の型を基本とした武術空手の道を歩み始め、瞬く間に達人のレベルに達した。今から20数年ほど前である。本来の沖縄古伝の空手は、術を習得した師から一子相伝の形で伝えられるものであるが、麻山館長は独自で型への常軌を逸した真剣な取り組みで、そのようなものがあるとも知らずに、型の持っている不思議な力を会得した。

その空手は、力を抜いた自然体のまま、型に則った動きをすることで、攻撃してくる相手を制圧するのである。相手は抵抗できないで崩されてしまう。麻山館長に個人指導を受けるようになり、私も武術空手の入り口に立つことが出来たような気がする。70歳の時に、格闘技空手の弱者であるにもかかわらず、真義館総本部の5人目の指導員に任命され、武術空手に特化した道場である直轄東京道場を設立され、そこの責任者に任命される。

なぜ攻撃する側が無力化されるか?「入り込み」とは?

攻撃する相手を身体が制御できない状態にして崩してしまうことができるのなら理想である。相手を崩す、つまり無力化する方法を「入り込み」という。この「入り込み」の原理の詳細な説明はここでは省略する。簡単には次のように言える。攻撃をしようとすると、身体は脳の命令を受ける前に無意識に攻撃の準備をする。攻撃の準備をした身体の末端の情報が脳に届くのは瞬時でなく、0.2から0.5秒程度かかる。神経パルスが伝わる速度は新幹線の速さ程度のためである。準備の情報が脳に届けば、脳は「攻撃せよ」の命令を出し、身体は攻撃を始める。

しかし、脳に攻撃の準備の情報が届いていない0,2から0.5秒の脳の空白時間に攻撃する相手に「適切な刺激」を与えることができるなら、相手は無意識の攻撃の準備のまま、身体が固まって無抵抗の状態となる。相手の身体の準備を察知して、0・5秒の脳の空白時間に適切な刺激を与えることが「入り込み」である。理屈がわかったとしても、「入り込み」を実践するのは非常に難しいことは想像できると思う。宮本武蔵はこの「入り込み」を「「ウゴキ」の「ウ」の字を押さえよ」と言っている。

古伝の型で鍛え上げて「統一体」となる

「入り込み」を可能にする方法はあるのか? 実は、古伝の型で心身を鍛え上げることで可能となる。古伝の型の中で特に重要なのは、サンチンとナイファンチンである。手足の動きの順番を覚える段階から、型をやり込むことで、手足の動きが中心と一体とした動きとなり内面が鍛え上げられていく。中心が動きのすべてをコントロールする状態を「統一体」という。

型によって、身体が「入り込み」ができる「統一体」になっていく。相手の攻撃を殆んど意識しないで最適は対応ができるようになる。統一体」になっていると「右脳」はフル回転していることが保江邦夫の実験で示されている。この原理が拙書「右脳の空手」の表題の由来である。

楽しい稽古

筋力も運動神経も使わず、ただひたすらに右脳を活性化する空手は、空手道の流派は数多いなかで真義館を含めほんの少数しかないと思う。筋力にもスポーツの才能にも頼らないということは、むろん年齢や男女差は関係ない。現実に東京道場の弟子の最高年齢は男86歳、女79歳であり、女性の比率も40%近い。もちろん他流派の黒帯を持つ若い道場生も多い。みんな喜々として稽古して、稽古場は明るく笑いが絶えない。稽古を重ねるにしたがい、身体が強靭になっていく。同時に、心も衝突をしないそれに変わっていく。─演武実演─