「夢のちから」

「夢のちから」

(財)メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパン
理事長(東京RC)八木 昌実 氏(早川幸男会員紹介)

本日は公益財団法人メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパンについてお話をさせて頂きます。 私は長く生命保険の仕事をしていた関係で、生命保険の加入が難しい難病のお子様をお持ちのお客様にも接する機会が多くありました。その中で社会貢献として何かお役に立てればと、メイク・ア・ウィッシュに30年以上携わって参りました。

メイク・ア・ウィッシュとは、聞き慣れない言葉かもしれません。アメリカでは、お誕生日ケーキにろうそくを立てて火を消す時「メイク・ア・ウィッシュ」と言って願い事をします。「夢を叶えなさい」という意味で、お誕生日には必ずこの言葉を使います。活動内容は、3~18歳未満の難病と闘っている子どもたちの夢を叶える、シンプルにそれだけです。アメリカ・フェニックスで始まった国際的なボランティア団体で、世界50カ国で活動しています。日本法人は5年前にやっと公益財団となりました。

メイク・ア・ウィッシュの始まりは、今から43年前の1980年。白血病と戦うアメリカ・アリゾナ州に住む7歳の男の子、クリス君がきっかけです。クリス君には警察官になりたいという夢があり、それを聞いた地元の警察官が、彼を一日警察官に任命しようと動きました。実際に警察官の制服を着て、白バイやヘリコプターに乗り、スピード違反の取り締まりをして切符も切りました。彼は警察官になるという夢が叶って、その一週間後に7歳の命を全うして亡くなりました。それを聞いた地元警察官は、彼を警察官として殉職扱いにしようと、アメリカの国旗で彼を包み、パレードをしました。この様子が全米で放映されてから活動が広がり、やがて世界中に広まって今に至っています。

日本では1992年に沖縄でスタートし、全国7都市に支部を置いています。今までに夢を叶えた子どもの数は3849人。コロナ禍は少し減っておりましたが年間約200~250人、ほぼ1日に一人のペースで難病の子どもたちの夢を叶えています。先週、バスケットのマイケルジョーダンが、メイク・ア・ウィッシュに13億円を寄付したというニュースが世界を駆け巡りました。日本にも少し欲しいところですが、独立採算制のためアメリカで使われます。

夢華さんのお話をご紹介しましょう。夢華さんは活発な女の子で、7人家族の三女として長崎で生まれました。彼女には左足がありません。骨肉腫で切断したのです。彼女は運動神経が良くて、バスケットボールチームに所属し、キャプテンも務めていました。しかし、中学3年生の春に左足に違和感を覚えて病院に行ったところ、骨肉腫と診断されました。腫瘍の摘出手術、抗がん剤治療を行いましたが、残念ながら腫瘍が小さくなることはなく、最終的には左足を切断することになりました。15時間の手術を乗り越えて彼女は義足になりました。 

前向きな彼女は、またそこから車椅子バスケットボールの選手となり、長崎の代表選手に選ばれたのでした。そんな彼女の夢は、東京ディズニーランドで赤いドレスを着てミッキーと写真を撮ることでした。この夢をメイク・ア・ウィッシュによって家族全員で叶えることができました。そして夢を叶えた翌年に19歳で天国に旅立ちました。ホテル側のご厚意で、ウェディングドレス姿の夢華さんとご家族を一緒に撮影して頂き、昨年30周年を迎えたメイク・ア・ウィッシュの日経新聞全面広告で写真を掲載させて頂きました。彼女は生前、ご自身のブログに、メイク・ア・ウィッシュへの感謝を述べていました。そして、難病で苦しみ、泣いているたくさんの子どもたちの夢を叶えてもらいたいというメッセージを残していました。

メイク・ア・ウィッシュでは常に100名位のお子さんが夢の順番待ちをしています。緊急性のある方から順に叶えています。一人当たりの費用は平均25万円。全て民間からの寄付だけで活動しています。日本で一番多い、家族での外出という夢は家族全員で行くのが原則で、45万円前後のこともあります。ぜひ皆様にも、難病の子どもたちの夢が叶う瞬間に立ち会って頂き、ご寄付を頂ければ幸いです。まだまだ認知度が低く、アメリカでは既に90%ですが、日本では恐らく50%に満たない状況です。ぜひ皆様のお力で本活動を広めて頂ければ幸甚に存じます。